天草陶石と天草陶磁器の解説を、2020年の天草陶磁器展のパンフレットから一部抜粋して紹介します。

なお、サムネイルおよび当コンテンツで使用している陶磁器の画像はイメージです。
 
天草陶磁器ではありません。





世界でも最上級「天草陶石」陶磁器の特徴

天草に産出する世界的な陶磁器原料の天草陶磁器。
 
その陶石を砕きその粉を練り合わせ焼いた物が磁器です。
 
高い強度で製品は硬く、仕上がりの色は濁りがなくて美しいのが特徴です。
 

 
こうした高品位の陶石の発見は、17世紀中頃と言われています。
 
また、天草陶石は有田焼や清水焼の主原料として使用され、海外にも輸出されています。
 
年間の出荷量は約3万トンで、全国の陶石生産量の8割を占めています。
 
天草陶磁器に関しては「くまもっと」のコンテンツも参考になります。
↓ ↓ ↓
恋する“うつわ”。天草陶磁器と窯元巡り
 




天草陶石の歴史 1600年代半ばに内田皿山焼の磁器

優れた陶石が産出する天草では、発掘調査の結果、1650年頃に内田皿山焼の磁器が焼かれていた事が判明しています。
 
延宝年間以降は、1762年(宝暦12年)に高浜焼が焼かれ、後にそれらの製品が海外に輸出されました。
 
1765年(明和2年)に天草郡本戸村水の平(現天草氏)で水の平焼が創業を開始し、1807年(文化4年)には瀬戸磁器の始祖加藤民吉が天草での修行を基に瀬戸磁器を創業します。

平賀源内も「陶器工夫書」で絶賛

冒頭から「陶器土、右之土天下無双の上品に御座候。」と始まるのは1771年(明和8年)、時の天草郡代に提出された建白書「陶器工夫書」。筆者は江戸期を代表する才人平賀源内。
 
ここで言う「陶器土」とは天草陶石、源内はこれを絶賛します。
 
さらに「工夫書」は職人を仕込み、外国から輸入した陶器を手本にする等の工夫で「随分宣焼物出来可仕候(いい焼物が出来ますよ)」とし、こうやって外国に負けない良質の陶器を作れば、日本人が高額な外国陶器を買うこともなく、むしろ「唐人阿蘭陀人」等がこれを買い求めて、それが「永代の御国益」になると明言します。
 

平成15(2003)年伝統工芸品指定 新たなブランドへ

もともと天草は、天領であったため藩窯的なものはありませんでした。
 
各村の庄屋たちが村民の自活のための磁器や陶器作りが根本にあり、そのため長い間、他の産地のように「ブランド」として表舞台に出ることが少なかったのです。
 

 
しかし平成15年に日本の伝統工芸品の認定を受け、現在10の窯元で、個性的で多様・多彩な陶磁器が焼かれています。
 
また自主的な展示会も開催するなど、国内はもとより世界進出を目指した新しいブランド化への取り組みを行っています。