日本にコーヒーが初めて伝わった場所は長崎で間違いないようですが、伝わった年は正確にはわかっていません。
 
鎖国令が出た2年後の1641年、長崎出島にオランダ商館がオープンした時が最も有力と考えられています。

出島に出入りが許された限られた役人、商人、あるいは遊女といった日本人は、この商館でアフリカ産のコーヒーを飲んだのではないでしょうか。
 
(このコンテンツは「珈琲一杯の薬理学」30~35ページを参考にしています


珈琲一杯の薬理学
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日本でのコーヒーの記録には薬効も

日本の文献にコーヒーが出てくるのは、オランダ商館オープンから100年以上経った1782年のことです。
 
それから13年後の1795年には廣川獬(かい)が書いた「長崎聞見録」に「かうひい」と表記され、薬効にも言及されています。廣川は1803年の「蘭療法」にも「コーヒーは浮腫病に効く」と書き残しています。
 
浮腫病は現在ではペラグラと呼ばれる皮膚病のことで、ビタミンB3が不足すると発症します。重症になると下痢を伴う腸炎や、頭痛、めまい、さらには錯乱状態を起こして死亡することもあります。
 
ビタミンB3の必要量は一日に10mg程度なので、深煎りコーヒーであれば数杯で摂取できます。コーヒーはいわば、浮腫病の”特効薬”だったのです。

嗜好品としての評価は散々?

1804年には、江戸後期の幕臣で、狂歌や洒落本の作者でもある大田南畝が出島の南蛮船でコーヒーを勧められたときの感想を著書「瓊浦又綴(けいほゆうてつ)」に残しています。

紅毛船にてカウヒイといふものを勧む。豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪へず。

「こんな焦げくさいもん飲めるか!」といったところでしょうか?コーヒーはかなりこきおろされてます。まぁ確かに、初めて飲んだ感想はそうでしょうね。
 
そしてコーヒーにはつきもののミルクも、日本人には敬遠されました。というのも、当時の日本には獣の乳を忌み嫌う風習があったのです。「そんなものを入れて飲むなんて」と、コーヒーはますます「日本人には合わない飲み物」とされたのでした。
 
そんな日本でコーヒーを最初に広めようとしたのは、江戸末期のオランダ商館に医師としてやって来たドイツ人シーボルトでした。
 
コーヒーを宣伝するためにシーボルトは、1816年に江戸の洋学者・宇田川榕庵が考え出した「珈琲」の文字を使っています。
 
その際にも薬として用いることを勧めていて、1826年に書かれた「江戸参府紀行・下関の項」には、「特に日本のような国でこそ保健薬として用いるべきだと推奨するのがよい」との記述があります。